すごく暇で時間を持て余しているので、久々に書きますか。
何を隠そう、私、活字中毒でございまして、もう書いたり読んだりするのが兎にも角にも大好きでして…
一昔前は、文章が長いよ!とよく言われておりました。
文章が長いのは、SNSの投稿などでもそうだったのですが、ここ数年は、長文を控えていまして
というのも、思い返せば、私が20代の頃はmixiが全盛期
皆、けっこうな長文を書いていたような記憶があります。
その後、Facebookが流行り、そこでも長文はよく見られた。
その後ですかね、
インスタが流行り、ティックトックが流行り
YouTubeが流行り
流行りが、文章→画像や動画に変わっていき、いつの間にやら、文章を書くという行為が、世間一般的に希薄なものになってきているような気がします。
文章を載せるプラットホームが廃れてきたのが原因なのか
そんな時代の中で、私も文章を人前にさらすようなことが少なくなってきました。
しかし、昔から思うのですが、文章を書く、ということは、自己表現の中で、最もと言っても過言ではないくらい、自分のことを人に知ってもらえるよい手段ではないのかと思うのです。
例えば、対話という、言葉を話すという行為を考えるとき、そこにはその話す相手との関係性だったり、立場だったり、第三者の存在だったり、色んなフィルターがかかった状態で自分の考えや気持ちを言葉というもので具現化して発しいる。
俗に言う、空気を読む。ということ。
そこには、作為的なものが大きく含まれる。
しかし、一人で、パソコンやらスマホやらで、独り言のように呟くように打ち込む文章というもの。そこには自分以外は誰もいなくて、空気を読む必要もない。本当に自分が言いたいことだけを、まさに真っ白いキャンバスに絵を描くように書くことができる。
人と仲良くなるために、他人から他人ではない関係になるためには、相手を知る必要がある。
例えば、その人がどんな映画が好きなのか、どんな音楽や小説が好きなのか、どんな幼少期を過ごしたのか、どんな悩みを抱えているのか… どんな人なのか
文章で何かを書くということは、人に自分の情報を知ってもらうことができる、すさまじく強烈なツールだと思っています。
そんなこんなで、動画や画像が流行の最先端を走り、文章を書くという行為が廃れていくこの時代をなんとも寂しく感じる昨今です。
前置きだけで長くなってしまった汗
昨日、レッチリ(レッドホットチリペッパーズ)のLIVEに行ってきたことについて書こうと思ったのですが、多分この後、1万文字くらいにはなってしまう。止まらなくなってしまうので、続きは次回!