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2013.06.17
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2013.07.01
作者情報
| 青井 由 |
| 北海道生まれ、東京在住の小説家。 大人の女性向けの恋愛小説を主に書いています。 主な執筆履歴&活動状況は「ya*info」(http://aoiyoshi.lovepop.jp/)にて公開中。 |
蝶々の歩き方【完】
2013.06.17
第5話 「沙耶」の場合(前編)
同伴出勤のない日、私はあえて早めに「Club Papillon」に出勤する。誰もいない更衣室で、お客様宛ての手紙を書くために。
ペンはもちろん万年筆。便箋は鳩居堂の、季節の絵柄が付いたもの。こんな古風なものが、年齢関係なく、男性には確実にウケる。
まずは、太田さん宛てに。太田さんは長年、会社の経営をなさってきた方だから、礼儀にはちょっとうるさいのよね。だから時候の挨拶はきっちり入れて、誤字・脱字もないように……。次は、藤井さんへ。藤井さんは、いつもお土産を持ってきてくださるから、それに対するお礼をこめて……っと。
「おはよーございまーす!」
丁度手紙を書き終えた所に、愛姫ちゃんと桃花ちゃんが出勤してきた。
私が「おはよう」と返事をして、レターセットを片づけていると、愛姫ちゃんがこっちをじっと見ている。
「沙耶さん、またお客さんへの手紙を書いてたんですか?」
「ええ。そうよ」
「沙耶さん、マメだなー。あたしだったら、メールで済ませちゃうけどなぁ」
愛姫ちゃんがため息と一緒に声を上げると、着替え始めていた桃花ちゃんも「そうですよねー」と頷いている。
まぁ、確かにそうよね。メールの方がラクだもの。だけど、コピペで量産された営業メールが溢れる今だからこそ、手書きの手紙がいいのに! 「自分だけに書いてくれた」っていうプレミア感が、お客様の心をくすぐると思うんだけど……ま、手紙の話はこれぐらいにして、私も準備しなきゃ! 今日は〆日だから、お客様もたくさん来てくださるだろうしね!
この日、開店直後にやって来て、すぐに指名してくださったのは、太田さんだった。不況下においても、かなりの利益を出している大企業の会長さん。いつも私を指名して、大金を落としてくれるものの、なかなかうるさいお客様なの。
ヘルプの子がちょっとでも無礼なことをすれば、すぐに怒ってしまうから、十分気をつけなくてはいけない。その上、見事な「どスケベ」なんだから……。もう七十歳で、お孫さんが八人もいらっしゃるっていうのにねぇ。
ほら、早速来たわよ! 私の胸に触ろうとする、太田さんの手が! 私は胸元でその手を優しく掴み、にっこりと微笑んだ。
「太田さん、どうなさったんです? 手を伸ばされたってことは、あちらにある、果物の盛り合わせを召し上がりたかったのかしら? 言ってくだされば、取って差し上げたのに!」
「おお、そうじゃ! あれが食べたかったのだよ! 沙耶、取ってくれんか?」
悪びれなく果物を指差す太田さんに、「はいはい。お待ちくださいね」と言いながら、私は盛り合わせの器を引き寄せる。そして近くにいたボーイの加藤ちゃんに、素早く合図を送った。「おしぼり、持ってきて」と。
すると加藤ちゃんは、小さく頷き、「温めのだね、OK!」と口パクで伝えてくれる。さすがは加藤ちゃん、使える男ね!
テーブルに用意されていた小さな器に果物を取り分けて、その中のメロンを小さく切ってフォークに刺す。そして太田さんへ向かって、そのメロンを差し向けた。
「はい、太田さん。お口を開けてくださいな」
「おお! 沙耶が食わせてくれるのか! ありがたいのぉ!」
フォークを持った腕の下を潜るように、またもや太田さんの手が伸びてくる。懲りもせずに、私の胸を触ろうとしてくるんだから!
「まぁ、太田さんったら! 私がお口に入れて差し上げますから、手出しは無用ですよ! 手の置き場がないのであれば、ほら、ここにどうぞ」
そう言って、太田さんのその手を、あえて私の膝の上に載せる。すると太田さんは、ウブな男の子のように顔を赤くして、黙ってしまうのよ。スケベなくせに、私の方から「お触りOK」にしてあげると、かえって照れるんだから……。男って、どうしてこうなのかしらね?
うちにいる、あの男もそうなのよ。私が「ダメ」って言うと何でもやりたがるし。逆に「やりなさい」ってことはやらないし……。男って、いくつになっても変わらない、ってことね。
「では、太田さん。どうぞ召し上がって」
太田さんの金歯だらけの口の中へと、私はメロンを滑らせる。すると太田さんは、口の端から果汁を零すようにメロンを噛む。きゃ! 果汁がダラダラと顎まで流れてる……あ! 丁度よかった! 加藤ちゃんがおしぼりを持って来てくれたわ!
「太田さん、大変! おしぼりで早く拭きましょうね」
「うむ、沙耶は優しいのぉ。いつも通り、わしの好きな温めのおしぼりだ」
しわしわの顔を緩ませる太田さんと、その果汁まみれの口をおしぼりで拭く私。そんな私たちの姿を、ヘルプの子たちが引き攣った表情で見ている。……まぁ、分からなくもないわね。これじゃあまるで、「ボケ老人と、その介護をする女」って感じだもの。
だけど、太田さんは違う。ボケているどころか、ちゃんと私や周りの反応を見ているの。わざと粗相をすることで、私やヘルプの子がどんな対応をするか、どんな表情をするか……そんな様子をチェックしてるんだから! 困ったおじいさんよね、本当に。
しかも今日が〆日だってことを知っているから、いつも以上に私を困らせようとしているに違いないわ。
だけど、あくまで太田さんはお客様だから! ちゃんと太田さんの意に叶う対応をすればいいだけの話だもの。キャバ嬢は、そういう所をきっちり押さえるプロですから! 私だって、太田さんには負けません!
「よし! 沙耶、バランタインの30年、持っておいで」
いつものように、高価なボトルの注文が太田さんの口から聞けた! よかった!
これは、今日の私の接客が「合格」だった、という太田さんからのサイン。私は感謝の気持ちをこめて、太田さんに「ありがとうございます」と頭を下げた。その隙を狙って、胸を触りにきた太田さんの手は、避けさせていただきましたけど!
そして太田さんがお帰りになる際には、今日書いておいた手紙をお渡しする。これが、太田さんには一番効き目のある、「感謝の気持ち」の伝え方なの。
「沙耶の手紙は、いつも字も内容も美しいから、楽しみでのぉ。うちの秘書にも、沙耶の真似して手紙を書け、と言っておるんだよ」
太田さんはそんな言葉を残して、迎えの車でお帰りになった。
「沙耶さん、すごいです! あんな大変なお客さんに、ずーっと笑顔でいられるなんて!」
「ほんと! あたしだったら、最低でも三回はキレてますよ!」
太田さんを乗せた車を見送りながら、ヘルプについてくれていた愛姫ちゃんと桃花ちゃんが言う。
確かにそうよね。私だって、この「キャバクラ嬢」っていう稼業を、自分のためだけにやっているとしたら、太田さんになら三回どころか、五、六回はキレていると思うわ。
でも、私には養うべき男がいる。あの男のためになら、何でも我慢できるもの。
「でもね、うちにいる、どうしようもない男と比べたら、太田さんなんて可愛いものなのよ。私がいないと、何にもできない男だからね、うちの男は!」
私が笑いながら言うと、二人は急に黙ってしまった。そして私がホールに戻ろうとしたら、後ろからヒソヒソと二人が話す声が聞こえてくる。「沙耶さん、きっとヒモがいるんだね」と。
うーん、ヒモかぁ。まぁ、ヒモみたいなものかもね、あの男は。
私は二人の噂話が何だかくすぐったくって、苦笑いしながら、次のお客様のテーブルへと足を進めていった。
ずっとテーブルで待っていてくださったのは、エリート商社マンの藤井さん。アメリカでMBAを取得してきたのが自慢の藤井さんは、いつも美味しいものをお土産に持ってきてくださる、気前のいいお客様。
今日も私がテーブルにつくなり、藤井さんは大きな紙袋を差し出してくれたわ。
「これ、最近話題の店の、バームクーヘンなんだ。沙耶ちゃんはスイーツが好きだろうと思って、わざわざ買ってきたんだよ」
わざわざ、という所に力をこめるのがわざとらしいけど、私は気にせずに驚きの表情を作る。
「えっ? これ、いただいていいんですか?」
「ああ。この前、ラスクを持ってきた時も喜んでくれただろう? だから今日は、この店のお菓子はどうかな、って思ったんだ」
「でも、ここって、毎日行列がすごくって、二、三時間は並ばなきゃ買えない、って噂のお店ですよね?」
「確かにそうなんだけど、僕はここの店主と昔からの馴染みでね。沙耶ちゃんのために、特別に取り置いてもらったんだ」
「まぁ! ありがとうございます! 嬉しいですけど……そんな無理をなさらなくてもよかったのに」
私が困ったような表情を見せると、藤井さんは「いいんだよ。沙耶ちゃんのためだからね」とキザっぽく髪を掻き上げた。
「そんな沙耶ちゃんを、今度はドライブに誘いたいんだ。今度の休みの日にでも、一緒に湘南に行かないか? 海の見える、いいレストランもあるしね。そこのオーナーと僕は顔見知りでね……」
自慢話を繰り広げている藤井さんに頷きながら、私は彼の左手の薬指をちらりと見た。そこには「さっき、店に入る前に外してきました」と言わんばかりの、結婚指輪の跡がくっきりと残っている。
デートに誘うなら、それをきっちりと隠してから言ってほしいところよねぇ。でも、こういう抜けてる所があるから、こちらとしても扱い易いんだけど。
まずは藤井さんの「俺の湘南ストーリー」みたいな話を一通り聞いた後、私は「お誘い、とっても嬉しいです!」と笑顔を浮かべた。そして「でも……」と、急にちょっと悲しげな表情に変える。
「実は私……海が怖いんです。海で昔、嫌なことがあったものですから……」
こういう場合は、あえて明るめに、「悲しいけれど、それを必死で隠してます」的に言うのがコツ。そうすると、藤井さんみたいにエリート意識の強い人は、「この女は、俺が守らなきゃ!」という気持ちに火が点くの。
ほら早速、藤井さんが私に哀れむような視線を向けて、「そ、そうか。ごめん!」って謝っているわ!
「海がダメなんて、知らなかったからさ……悪いこと言っちゃったね」
「いいえ! 藤井さんは悪くないんです」
そう、藤井さんは一つも悪くない。だからと言って、私も悪くはない。そして私が海が苦手っていうのも、まんざら嘘じゃない。海を見ると、死んだあの人のことを思い出してしまうのは本当のことだし。
でも、彼が死んだのは、もう数年前の話! 今の私には、あの男がいるもの!
「きっと、海が怖くなくなる日が来ると思うんです。だからその時は、ぜひ連れて行ってくださいね」
私が微笑むと、藤井さんも嬉しそうに頬を緩ませる。そして藤井さんは、「俺の湘南ストーリー・パート2」を語り始めた。
そのダルい話に相槌を打ちながらも、私はいただいたバームクーヘンのことを考えていた。だってバームクーヘンは、うちにいるあの男の大好物なんだもの!
これを見せたら、あっという間に食べてしまうだろうな。ヘタをすると「もっと食べたい」と言って、大暴れするかもしれないわね。
イイネ!
22人がイイネ!と言っています。
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