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ポケパラノベル
小説タイトル
イラスト:jericho

作者情報

青井 由
北海道生まれ、東京在住の小説家。 大人の女性向けの恋愛小説を主に書いています。 主な執筆履歴&活動状況は「ya*info」(http://aoiyoshi.lovepop.jp/)にて公開中。

小説タイトルチェンジング・ビューティー【完】 更新日時2013.09.17

第4話 彩花と克己

「いいご身分だよねぇ。病み上がりとはいえ、指名客しか取らなくていいなんてさー」
「あんたの場合、その指名客もカラダで取ってるんだろうけど」
「金のためなら、何でもする女だもんねぇ」
 キャストたちの、言葉と視線が痛い。痛いどころではない。死にそうに辛い。
 煙草の煙で溢れ返る控え室。その片隅で、彩花は体を縮こめて座っていた。妹の舞花になりすまし、「リオナ」としてこの店で働き始めて五日目。分かったことがいくつかある。
 そのうちの一つが、今のこの状態に表れている。つまり舞花が、他のキャストたちから嫌われている、ということだ。
「店長とも上手くやってんでしょ? したたかだよね、あんた」
 正面の席に座る、紫のドレスのキャスト。「七瀬」という名の彼女は、煙草の煙を彩花の顔に吹きつけた。嫌な顔はしたものの、文句も言わずに咳き込む彩花を見て、七瀬は眉間に皺を寄せる。
「あんた、キャラ変えたの? 休み明けから、大人しいよね」
「え、えっと、私が、ですか?」
「当たり前でしょ? あんたのことに決まってんじゃん!」
「は、はい。す、すいません!」
「ほら、そうやってすぐに謝る感じも、前と違うもん。いつも私にケンカふっかけてたくせに、今はお嬢様っぽいキャラだし。別人みたいっつーか」
 別人。その言葉に怯える彩花を気にすることなく、七瀬はそこで話を終わらせた。そして携帯電話で、営業メールをし始める。
 この店のキャストたちは、恐ろしくマメだ。これも、「リオナ」になって分かったことの一つだ。暇さえあれば、営業メールに営業電話。客のあしらい方に、愛嬌の振り撒き方。どれを取っても、皆、サービス精神旺盛なのだ。
 男を唆す、肉食獣の集まり。彩花は最初、キャバクラというものに、そんな恐ろしいイメージしか抱けなかった。だが、今は違う。「自分」という商品を、際立たせて売り込む。今の彩花の目には、キャストたちがそんなセールスレディのように見えている。
 舞花もきっと、この中で必死に働いていたに違いない。客を引き寄せて金を稼ぐには、人並み以上の努力をしていたことだろう。
「リオナちゃん、十番で山田さんがご指名だよ!」
「は、はい!」
 ボーイの声が聞こえ、彩花は立ち上がる。瞬間、お茶をひくキャストたちの視線が、後頭部に突き刺さる。気にしてはいけない。彩花は自分を宥めつつ、ホールへと歩いていった。
「リオナちゃーん! 今日も会いに来ちゃったよー!」
「や、山ちゃん。ご、ご指名、ありがとうございます」
 いきなり抱きついてくる客に、彩花は笑顔で対応する。だが、声は震えている。
 この状況に慣れなくては、と思うのだが、慣れない。慣れるはずもない。キャバクラ嬢になって、五日しか経っていないのだ。しかも、父親や学校の先生以外の男性とは、親しく話をしたこともないし、男性と付き合った経験もない。
 それでもこの五日間で、彩花は多くの指名客に接することができていた。だがその中には、舞花の失踪との関係を匂わせる客はいない。あの「克己」という、有田の孫を除いては。
 この日、最初についた客からも、何の糸口も引き出すことはできなかった。彩花は落ち込む心を抱えて帰る客を見送り、店に戻る。するとドアの近くで、権藤が待っていた。
「お姉さん、八番テーブルに、あの有田の孫からの指名が入ってるってさ!」
「え?」
 彩花はホールの入口へと駆け寄り、覗き込む。確かに八番テーブルには、克己が座っていた。
「あいつ、舞花を『消えた』って言ったんだろ? これはチャンスだから、そこら辺を聞き出してみてよ」
「は、はい。分かりました。頑張ってみます」
 権藤に返事をすると、彩花は八番テーブルへと進んでいった。
「お待たせしました。ご指名ありがとうございます」
 彩花の挨拶に合わせて、克己が顔を向ける。その視線の鋭さに、彩花の細身の体が更に細くなった。
 怖い。瞬時に現れた恐怖心を隠し、彩花は克己の隣に座る。震える手でおしぼりを渡すと、克己は大きく息を吐き出した。
「うちの社長が、お前への生前贈与の手続きを開始したってさ」
「そ、そうですか」
「おいおい、もっと喜べよ。この手続きが済めば、お前にがっぽり金が入るんだぞ?」
「で、でも、私は」
 そんなこと、私は望んでいない。それに、その財産を受け取るかどうかは、舞花の判断だ。何の返事もできずに、彩花はグラスを取り、氷を入れていく。
「俺としては、それを阻止しようとは思ってるけどな。社長が死にもの狂いで貯めた財産を、くだらないキャバ嬢に渡すつもりはねぇよ」
 彩花は何の反応も見せず、グラスにウイスキーを注ぐ。だが内心では、仄かに怒りが湧き上がってきつつあった。
 祖父の財産が、何の関わりもない女の手に渡る。それに対する克己の憤りは、彩花にも十分理解できる。だが舞花を、「くだらない」呼ばわりされる筋合いはない。
 抗議したい気持ちを堪えながら、彩花は克己を見た。真面目そうな雰囲気は、初めて会った時から変わってはいない。そして、明らかにこちらを嫌っている態度も。
 本当ならば「イケメン」と言えるほどの、カッコいい人なのに――彩花は小さくため息をついて、グラスに水を注ぐ。すると克己が身を乗り出し、彩花へと近づいてきた。
「お前、何でキャバ嬢なんてやってるんだ?」
 突然の問いに、彩花のピッチャーを持つ手が止まる。舞花ならば何と答えるだろうか。そう考え、言葉を捻り出す。
「お、お金のためです」
「へぇ。この前とは、答えが違うな」
 嫌みったらしい笑みを浮かべ、克己はソファに凭れ掛かった。
「この前、俺が同じ質問をした時は、『自分と、姉の夢のため』って答えたよな? 『いずれ、自分の店を持ちたい』って。で、『姉が大学を卒業したら、一緒に経営する』って言ってたよな?」
 それは確かに、舞花が語っていた「夢」だった。舞花は以前より、バーやカフェなどの店を開きたい、と彩花にも宣言していたのだ。
「お姉ちゃんは経済学を勉強してるんでしょ? じゃあ、お姉ちゃんは経理とかの担当して、あたしが店の経営をやれば、絶対上手くいくよ!」
 ただの絵空事。舞花の話を、彩花はそう思って聞いていた。だが舞花は、本気で考えていたのかも知れない。恐らく舞花は、自分の人生を切り開こうとしていたのだろう。そんな舞花が語っていた「夢」は、彩花にとっても心強く、嬉しいものとして聞こえてくる。
 だが、今は喜んでばかりもいられない。この場を取り繕うことに、意識を集中させなくてはいけない。
「そ、その、この前言ったことを、簡単に言ったんです。その夢のためには、お金が必要ですから、『お金のため』と答えたんです」
「へぇ……。まぁ、『金のため』っていう方が、お前らしいんじゃねえの? だってお前、金のためなら誰とでも寝るって有名だもんなぁ。金のためじゃないと、客に股なんか開けないだろうしな」
 克己の非難の言葉がナイフになり、彩花に突き刺さった。自分が揶揄されている訳ではないのに、心が痛む。舞花が自分のために働いた結果として、酷く言われているのだ。そう思えば、彩花の心は申し訳なさで一杯になっていく。
 悲しみを堪えつつ、彩花は水割りを作り終えた。グラスに添えていた彩花の手に、克己が突然触れてきた。
 何事か。彩花が視線を上げると、吐息を感じそうなほどに、克己の顔が迫ってきていた。
「金のためなら、俺とでもやれそうだよな、お前なら」
 嫌だ。冗談じゃない。そんな捨て台詞が頭に浮かぶが、口にできるはずもない。
 どうしてこの人は、こんなにも自分を責めるのだろう? いや、この人が責めているのは、舞花である「リオナ」だ。
 自分の祖父の財産を狙う女。そう思って、この男が「リオナ」を嫌っているのは確かだ。だが、それ以上の憎しみが、彼の中に潜んでいそうなのだ。
 それでも今は、彩花が責められていることに違いはない。彼の言葉の数々に傷ついた心が、低い悲鳴を上げている。それに耐えきれず、彩花は不意に瞳を潤ませた。すると克己は舌打ちして、そっと顔を背ける。
「また涙かよ。この前から、お前は変だよな。そんな顔、いつからできるようになったんだ?」
「い、いえ。ごめんなさい」
 そうだ。舞花はこんなことでは泣かない子だ。彩花はハンカチを取り出し、そっと涙を拭う。その仕草を、克己は横目で見ていた。
「おいおい。キャラを変えるつもりか? これまでのサバサバ系のキャラは止めて、しっとり系でいくとか?」
 キャラどころか、人間そのものが変わっているんですけど――そう言う訳にもいかず、彩花は黙ったままで、俯いていた。
「まぁ、今のそのキャラの方が、男受けしそうじゃね? って言うか、それを狙ってんのか?」
「ち、違います!」
「違わねぇだろ? 何にせよ、お前は金を目的にしてる女なんだからな!」
 金、金、金。その言葉を並べ立てられ、せっかく引っ込んだ涙が、再び溢れそうになる。
「もし今夜、お前が俺と寝るなら、百万やるよ。どうする?」
 そんなことに、同意できるはずもない。拒否のために、彩花が首を振ろうとした時だった。突然、軽やかなメロディが聞こえてきたのだ。
 その音に反応して、克己はジャケットの内ポケットからスマートフォンを取り出す。その着信音に、彩花は聞き覚えがあった。いつ、どこで聞いたものだったのか。それに気づいた瞬間、彩花は息を止めた。
 これは、サティの『ジムノペディ』だ。この前、無言電話から流れてきたメロディと、全く一緒の、『ジムノペディ』。
 彩花は咄嗟に、克己へと目を遣る。この曲を着信音にしている人間は、他にもいるだろう。だが、身近な人間の中では、今のところこの男だけだ。
 仕事絡みの事務的な会話をし終えて、克己は電話を切った。そのタイミングで、彩花は衝動的に口を開く。
「分かりました」
「あぁ? 何の話だ?」
「今夜、あなたとご一緒します」
 これは賭だ。彩花はそう思っていた。舞花と連絡が取れなくなって、既に十日が経っている。一秒でも早く、舞花を見つけなくてはいけない。なのに、何一つ手がかりはない。
 そんなところに、欠けていたパズルのピースが二つ、現れてきたのだ。舞花が「消えた」という克己の言葉。そして、さっき聞こえてきた『ジムノペディ』。
 ならば、この男に近づき、舞花のことを探り出すべきだ。それ以外に、舞花の失踪という謎のパズルを、完成させる方法はない。
 覚悟は決めているものの、口にしてしまった言葉に、彩花は恐れを隠せない。唇を引き締め、克己の反応を待っていた。
 すると克己は、名刺を一枚取り出した。その裏にペンで走り書きをすると、彩花へと手渡す。そこには、駅前にある巨大なホテルの名前と、「1017」という番号が記されていた。
「その部屋に、店が終わったら来い」
 克己の低い声に、彩花は無言で頷いた。



『Bella Donna』の閉店後、彩花は克己に指定されたホテルへとやって来ていた。
「1017」と書かれた、札の貼られたドア。十階のフロアを進み、その前で立ち止まったが、ドアのチャイムを押せずにいる。
 男性と付き合ったことがない=キスをしたこともない=その先の経験だってない。しかし、自分がしようとしていること=「その先」の行為+素数nの二乗。
 受験勉強で覚えたような、謎の数式が頭に浮かび、消えていく。
 そんな数式で解けるようなことならば、良かったのに。だが今、彩花が直面しているのは、勉強でもなければ、テストでもない。数学でも英語でもない。「男女の関係」という、彩花にとっては一番やっかいで、一切経験のないことなのだ。
 これから克己とすること。それが「性行為」とか、「セックス」というものだとは分かっている。それが具体的にどういうものなのかも、イメージとしては分かる。何となくだけれど。
 それを自分がやる。そう考えた瞬間に、頭の中のイメージ映像にモザイクがかかり、ぼやけていくのだ。もはやそれは、愛の行為と呼ばれるものでもなければ、エロティックなものでもない。裸の組体操だ。
 経験のない自分に、「それ」が上手くできるだろうか。いや、問題はそこではないだろう。「やらずに済むこと」を考えるべきだ。そんな行為に及ぶ前に、克己から何とか舞花の話を聞き出して、隙を見て逃げよう。そうすれば大丈夫だ。きっと。
 必死に自分を励ましながら、彩花はチャイムを押す。するとドアが開き、克己が顔を覗かせた。
「入れ」
 克己の言葉に彩花は頷き、ドアの隙間から体を滑り込ませた。部屋に入り、後ろでドアが閉まる。立ち竦む彩花の背後へと克己が近づき、両手で彼女の体を抱き締めた。
「あ、あの」
 小声で呟くと、それに被せて、克己の声が聞こえてくる。
「お前は何者だ?」
 瞬間、彩花は体を引っ張られ、壁に押しつけられた。驚く暇もなく、視線を前に放り投げると、そこに克己の顔が入り込んでくる。
「お前、『リオナ』じゃねぇだろ? 何者だって訊いてんだよ」
「わ、私は……」
「十日前、お前は『消える』ために、俺から金を受け取っただろ? で、お前は『消えた』んじゃねぇのかよ? 何で今、ここにいるんだ?」
 金、金、金。舞花が失踪して以来、聞き続けた言葉。それがまたもや耳に入り、彩花の血の気が一気に引いていく。
「偽者の『リオナ』が、ノコノコとうちの社長の前に出て来て、何をするつもりだよ。本物の『リオナ』と組んで、財産を狙ってんのか?」
 克己は彩花の喉元に手を当て、ゆっくりと力を込めていく。息が途切れるほどに首を絞められ、彩花は思わず顔を歪めた。
 苦しい。呼吸ができず、目の前は霞み、頭も痺れてくる。足も力を失い、立っているのがやっとになっていた。
 そして彩花の全身に、恐怖が広がっていく。命さえも奪い取りそうな、激しい怒り。そして強い手の力。そんな克己の全てに圧倒されながら、彩花は悲鳴のような声を上げる。
「や、やめてください……」
 そして苦しさから悶え、涙を滲ませた。本気で助けを乞う、彼女の瞳。それを見て、克己は一瞬怯んだものの、すぐさまいつもの強気な態度へと戻っていく。
「さすがは水商売の女だな。その涙で、かなりの男は釣れると思うぜ? 涙に関しては、本物の『リオナ』よりも、お前の方が上じゃねぇの?」
「ち、違います! わ、私は……」
 息苦しさという肉体的な辛さ。そして、舞花を探し出せない不甲斐なさ、という精神的な苦しみ。その両方から、彩花は更に涙を増やし、泣き顔を克己に晒した。
 そんな彼女の表情を見て、克己が舌打ちをする。
「ったく、そうやって俺に媚びてるつもりか? なら、俺もそれにノッてやろうか?」
 克己の手が、彩花の顎を掴む。その痛さに顔を歪めると、次の瞬間には、克己の唇がこちらへと近づいて来ていた。
「や、やだ!」
 彩花は手に持ったバッグで、克己の顔を殴りつけた。その衝撃で離れた克己の体を押し退け、縺れた足でドアへと向かう。冷たくなった指でドアを開け、廊下に飛び出し、エレベーターへと走っていった。



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第5話 『舞花と権藤』は9月24日(火)更新です。
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■注意■

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