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ポケパラノベル
小説タイトル
イラスト:jericho

作者情報

青井 由
北海道生まれ、東京在住の小説家。 大人の女性向けの恋愛小説を主に書いています。 主な執筆履歴&活動状況は「ya*info」(http://aoiyoshi.lovepop.jp/)にて公開中。

小説タイトルチェンジング・ビューティー【完】 更新日時2013.12.16

第17話 再び、彩花と克己

小説挿絵  ブレンドコーヒーが千二百円、紅茶が千六百円。ふざけんな。こんなバカ高い店に呼び出しやがって。絶対に奢らせてやる。
 舞花はそう誓いながら、メニューの中で一番高いブルーマウンテンを注文し、向かい合って座る克己を見た。
 銀座の一角にある、老舗の高級喫茶店。そのハイソな雰囲気にぴったり合う端正な顔を、克己は絶望に近い色で染めつつ、書類を舞花に手渡した。
「遺産相続の放棄の手続きが、正式に済んだから」
「はーい。これ、お姉ちゃんに渡せばいいの?」
「ああ」
 そこで話は途切れる。運ばれてきたコーヒーを飲み、舞花は克己の反応を待ったが、何も言わない。
「この話だけのために、あたしをここに呼んだの?」
「……まぁな」
 克己もコーヒーを啜り、上目遣いで舞花を見る。
「……彩花は元気か?」
「うん、元気だよ! 今のお姉ちゃん、超リア充だから! キャバ嬢やったせいで男にも免疫がついたし、おしゃれにもなったから、モテモテなんだー」
 克己の眉がぴくりと動く。それを舞花は見逃さず、意地悪心のままに話を続ける。
「お姉ちゃんはね、平日は夜に家庭教師をして、土日はカフェでバイトしてるんだ。どっちでも評判よくって、特にカフェでは、お姉ちゃん目当ての男性客が増えたって話題になってるしー」
 克己のこめかみに、青筋が浮かんでいる。そうかそうか、お姉ちゃんが他の男と絡むのが、そんなに嫌なのか。
「可愛くて、清楚で、頭もいい……って大学でも噂になってて、来年のミス・キャンパスはお姉ちゃんで決定じゃないか、って言われてるらしいよ。合コンにも引っ張りだこみたいだから、持ち帰りされるのも時間の問題だね!」
 克己がコーヒーカップをソーサーへと乱暴に投げ捨て、激しい音を鳴らす。空いた両手を白くなるほどに握り、歯を食い縛っていた。
「やだなぁ、怒らないでよ」
「怒ってねぇよ」
「怒ってんじゃん! 私をここにわざわざ呼んだってことは、あたしからお姉ちゃんのことを訊きたかったんでしょ? で、訊いておいて怒るぐらいなら、お姉ちゃんに直接、会えばいいじゃない!」
「できるなら、そうしてるさ!」
 克己はプイと顔を背ける。こんな子供じみた態度を取るなんて、哀れな男だ。
「だけど彩花が、会ってくれないんだ。電話にも出ないし、メールの返事もない」
「お姉ちゃんが完全無視、ってこと?」
「ああ。どんな理由があれ、自分は俺を裏切ったのだから、もう会わせる顔はない、って。あと、犯罪に関わった自分は、俺の邪魔になるだけだ、って」
「お姉ちゃんも頑固だからねぇ」
 彩花は堅物で、自分の考えを曲げることは殆どない。だからと言って、その頑固さで、この男を惨めにさせる必要もないだろう。
 舞花はコーヒーを飲みながら、ガラス窓の向こうへと目を遣る。街は赤や緑の飾り付けで彩られ、来週に控えたクリスマスに向けて盛り上がりを見せていた。
「寂しいねー、克己さん。もしかして、クリスマスも一人で過ごすつもり?」
 克己は返事をしない。それが返事になっていることを知りながら。
「男一人でクリスマスなんて、さーびーしーいー! 好きな人と一緒に過ごせないクリスマスなんて、さーびーしーいー!」
「……お前、俺をバカにしてんのか?」
「違う違う! 克己さんがあんまり一途なんで、感動してるんだよ! あたしを『クソ女』って呼んでた頃とは大違いだよねー。それも、お姉ちゃんのお陰なのかな?」
 誘い出すような言葉にも、克己は乗ってはこない。地獄の釜から湧く湯気のような、深いため息を漏らすだけだ。
 これは重傷だ。末期症状だ。でも恋の病になんて、どんな薬も効きはしない。効き目があるものといえば、恋の成就以外にはないだろう。ならば、少し手助けをしてやってもいいかも。
 舞花は心に悪魔と天使を潜めつつ、バッグの中から取り出した名刺を克己に手渡した。
「……何だよ、これ」
「今、あたしが働いている店の名刺。裏には店までの地図が描いてあるから。今の店は時給も高いし、助かってるんだよねー」
「……だから、何だよ」
「寂しいなら、イブにうちの店に来ないかなーって。酒飲んで、可愛い女の子と一緒にいれば、寂しさも吹っ飛ぶってモンでしょ?」
 ピンクの名刺にプリントされた「詩織」という文字を見ながら、克己は悲しげに微笑む。せっかくのクリスマスをキャバクラで消化するなど、いつもの克己ならばプライドが許さない類の行為だろう。
 だが、今は違う。彩花に会えない心苦しさを打ち消せるならば、どんな方法でも構わなかった。
「……悪くないかもな」
 思わず同意する克己に、舞花は「でしょ?」と嬉しそうに首を傾げる。
「その『詩織』が今のあたしの源氏名だから、指名してよ!」
「分かった。とりあえず、イブにはお前の所に行くよ」
「うん! 待ってるからねー! 高いボトルを入れてくれるの、期待してるから!」
「それは約束できねぇな」
 苦笑いしながら克己は伝票を手に取り、立ち上がって「じゃあな」と舞花の前から去った。会計を終えて店の外に出ると、冷たい風が吹きつけ、一気に体を冷やしていく。
 マフラーを巻き直すが、寒さは一向に収まらない。それは、外気のせいだけではないことは分かっている。彼女がいないことで、心に空洞ができ、そこに恐ろしいほどの北風が吹き込んでいるのだ。
 だが、克己は何をすることもできない。彩花の頑なな態度を溶かすことも、心を他のことで満たすこともできない。
 ため息をつき、星など出るはずもない青空を見上げる。星でもサンタクロースでも構わない。どうか、願いを叶えてほしい。彼女に会わせてほしい――心で祈りながら、克己は街の中へと足を進めていった。



 平日なのにカップルで溢れる街の中を、彩花はスマートフォンに表示された地図を頼りに、繁華街の中を進んでいた。
 そうだ。今日はクリスマスイブだった。幸せそうなカップルたちの間を抜け、開店前の飲食店をいくつも通り過ぎる。
 こんな時にこんな場所で、女一人で歩くのも抵抗があったが、約束は約束だ。それに、イブに一人でいる方が辛い。何かしていた方が気も紛れるだろうし、彼のことを思い出さずにも済む。
 そう思った矢先に、目の前のビルに、『セレンディピティ』と書かれた大きな看板を見つけた。その裏口から中に入ると、すぐ左側にカウンターがある。そこには中年の男性が座っていた。
「あ、あの、すみません。私……」
 声に気づいた男は、彩花の顔を見るなり、「ああ!」と叫ぶ。
「詩織ちゃんのお姉さんだよね? 話は聞いてるよ!」
 どうやらこの人が、この店の店長らしい。威勢のいい声に圧倒されつつ、彩花は頭を下げる。
「妹がわがままを言って申し訳ありません。今日は、私が妹の代わりになりますので……」
「大丈夫だよ! 例のお客さん一人にだけついてもらえばいいからさ! それに、お姉さんもキャバ嬢経験者なんでしょ?」
 確かにそうだが、もう二度とするつもりはなかったのだ。しかもまたもや、舞花になりすます必要があるなんて。
「お姉ちゃん、お願い! あたしの代わりに一日だけ、キャバクラに出てくれないかな?」
 先週、舞花が突然そう言い出した時には、驚きを通り越して、怒りまでもがこみ上げたものだった。
 舞花は元々、身勝手なタイプではあった。だけど、あの事件があったことで、少しは大人になったのではないか、と期待していたのに、全く変わっていない。舞花はしれっと、どうしようもない言い訳を繰り広げていく。
「イブは休みを取るつもりなんだ。だけど、寂しがり屋で可哀想な客がいてさ、そいつがどうしてもあたしと一緒にいたい、って言うんだー」
 ならば、その客のために出勤すればいいじゃないか。彩花は反論したかったものの、舞花が見事に、彩花の弱いツボを押さえ込んだ。
「あたしからのお願いなんだよー。あの暗くて狭い倉庫に、一ヶ月近く監禁されていたあたしからのお願いなんだから、聞いてくれたっていいじゃないのー」
 それを言われると、彩花はぐうの音も出ない。そんな姉の弱みにつけ込むように、舞花は彩花を納得させたのだ。
「他の常連客にはその日は休みだって伝えておくから、あたし目当てで店に来るのはその客にだけなの! 店長とか他のキャストにも説明しておくし!」
 それで仕方なく、「じゃあ、一回だけだよ」と彩花は返事をしてしまったのだ。
 仕方ない。妹の尻拭いをするのが、姉の役割なのだろう。姉と言っても、たった数分、先に生まれてきただけなのだが。その僅かな差を恨みつつ、彩花は店長に案内された更衣室でドレスに着替え、待合室に入った。
「失礼します……」
「おはようございまーす!」
 キャピキャピした声が響いた瞬間、部屋にいたキャストたちが彩花へと一斉に視線を向ける。
「あ! 詩織ちゃんのお姉さんでしょ? はじめましてー!」
「うわ! 本当に詩織ちゃんとそっくり!」
「これなら入れ替わってもバレないって!」
 小さい頃から言われ続けていた言葉を耳にして、彩花は愛想笑いをする。
 髪型も服も同じにしていれば、自分と舞花の見分けがつく人などいなかった。時々、両親でさえ見間違えるほどだったのだから。
 だけど一人だけ、見抜いた男がいたのだ。最初の頃こそ、自分を舞花だと思っていたが、克己はすぐに別人だと気づいたではないか。
 ……ダメだ。これ以上、彼のことは思い出したくない。彩花は何度も頭を振る。
 克己との出会いの場であり、思い出の場所でもあるキャバクラに来てしまえば、彼を思い出さずにはいられないだろう。その予感は、見事的中してしまっていた。
 どうしてこうも、彼のことばかり考えてしまうのか。その理由は分かっている。それは、彼のことが好きだからだ。
 でももう、彼と会う訳にはいかない。彼の邪魔にならないためにも、別れを決めたのは彩花自身なのだ。自分で決めたことは、ちゃんと守らなくては――持ち前の生真面目さを必死に蘇らせ、彩花は背筋を伸ばす。
 すると、開店して数分後に、ボーイが迎えにやって来た。
「詩織ちゃん、ご指名でーす!」
 彩花は部屋を出ると、ボーイの後について狭い通路を進み、ホールへとやって来た。
『Bella Donna』よりも、一回り小さめのホールの中央には、大きなクリスマスツリーが飾られていた。それぞれのテーブルでは、客とキャストのじゃれ合う姿が見え、BGMとして流れるクリスマスソングの隙間からは、彼らの楽しげな声が聞こえてくる。
「あそこの、角にあるテーブルだから」
 ボーイが指差す先には、ソファに座る、客の後ろ姿があった。細身で、背筋を伸ばしたその様子は、克己によく似ていた。そう思うだけで、彩花の鼓動が一気に速くなる。
 あの人のことを考えちゃダメ。彩花は深呼吸をして、ホールの中に足を進める。久々に履く高いヒールでカーペットを踏みしめつつ、目指すべき客の背中を見つめる。近づけば近づくほど、それは克己そのものであるかのように見えてきた。
 バカみたい。彼に会いたい気持ちのせいで、見知らぬ人まで、彼に見えてしまうなんて――彩花は自嘲気味に笑いながらテーブルの前に着くと、足を止めた。
 まずは挨拶だったよね? キャバクラ嬢としての作法を何とか思い出し、彩花は深々と頭を下げた。
「お待たせしました。詩織です」
 挨拶を終え、顔を上げる。その視界に、客の顔が映り込んだ。これは確かに客だ。客のはずだ。……客だよね?
 目が合ったその客も、じっと彩花を見ている。まさか。いや、何かの間違いだろう。もしくは夢か幻ではないのか。
 お互いの胸に、様々な思いが過ぎるものの、この状況は歴とした事実だった。彩花は固まった体をぎこちなく動かし、テーブルに背を向けて逃げ出した。
「ま、待て!」
 叫ぶ克己も、何が起こったのか、はっきりと把握できていない。舞花に誘われ、クリスマスイブの今日、この店に来た。それだけだ。なのに何故、彼女が目の前に現れたのか。
 だが、そんなことなど、どうでもよかった。大事なのは、会いたかった彼女がここにいたということだ。
 彩花は早足でホールを抜け、店の出入口を目指して進んでいく。克己は急いで席を立ち、彩花を追いかけた。
「逃げないでくれ、彩花!」
「来ないでください!」
 彩花は克己の気配が背後に迫るのを感じ、ホールの片隅で立ち止まる。だが、振り返ることはなかった。
「私は、あなたを裏切ったんです! それに私は、あなたの邪魔にはなりたくないんです!」
 弁護士から伝えられた言葉を、改めて彼女の口から聞けば、その強い意志がはっきりと分かる。だが、それに負ける訳にはいかなかった。
「俺はお前に裏切られたなんて思ってない! 邪魔だとも思っていない!」
 克己は勢いよく叫ぶが、すぐに「い、いや、違うか」と声を弱める。
「お前に裏切られた、と思っていたのは本当だ。邪魔だとも、少しは思っていたし……。だけど……だけどさ……」
 克己にしては歯切れが悪い。それを背中で感じながら、彩花は俯いていた。彼は言葉を止めたままだった。ならばさっさと、ここから去ってほしかった。もうこれ以上、彼の記憶を増やすのは嫌だった。
 赤いドレスによって際立つ、彩花の白い背中。それを見つめながら、克己は言葉を探す。いや、言うべきことは一つしかない。それを言わなければ、何も始まらないのだ。
「だけど……それでも俺は、お前が好きだった」
 ホールに流れる、女性ボーカルのクリスマスソングに、克己の声が混じって聞こえる。彩花が驚きと共に振り返れば、これまで見たこともないほどに真剣で、純粋な彼の表情が見えた。
「だから、俺を信じてほしい」
 無垢な少年のような、克己の声。口を開く彼の顔が、有田のものと重なる。
「克己を信じてやってくれ」
 彩花の脳裏に、有田が手紙に記していた言葉が蘇る。今こそ、彼を信じるべきだと告げるように。
「……私で、いいんですか?」
 彩花は震える声を上げる。視界は涙で滲み、克己の姿さえもぼやけて見えていた。
「私は、地味で引っ込み思案で……しかも頑固だし、なのにうっかりだまされちゃって、妹になりすましたりする人間なんですよ? それでも、いいんですか?」
「それでも、俺はお前を信じるよ」
 克己は優しく微笑み、頷いた。
「この気持ちが、社長の……祖父さんの、本当の遺産だったんだと思う」
 ああ、そうか。彩花の心に、有田の言葉が沁みていく。あの言葉こそが、有田が遺したものだったのだ。迷いを晴らし、真っ直ぐに生きるための、ともしびになる言葉。
 彩花はその「遺産」を抱き締めようと、克己に飛びついた。それを受け止め、克己も彼女の体を優しく包み込む。
「そこのお二人に、かんぱーい!」
 その声と共に、クリスマスツリーの後ろから、舞花が顔を覗かせた。ウインクをして、シャンパングラスを二人に向けている。更に、ホール中の客やキャストたちまでもが、彩花と克己にグラスを掲げていた。
 照れる二人の顔が、それぞれのグラスに注がれたシャンパンに浮かぶ。それは次第に、笑顔へと変わっていった。

<完>

【完】

■注意■

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