目次
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2013.12.16
作者情報
| 青井 由 |
| 北海道生まれ、東京在住の小説家。 大人の女性向けの恋愛小説を主に書いています。 主な執筆履歴&活動状況は「ya*info」(http://aoiyoshi.lovepop.jp/)にて公開中。 |
チェンジング・ビューティー【完】
2013.10.28
第10話 克己と母
克己が『Bella Donna』を出て、自宅へと戻ったのは、二三時を過ぎた頃だった。
有田と共に住む邸宅の玄関ホールを抜け、リビングのドアを開ける。
「ただいま戻りました」
克己の声が聞こえ、有田は視線を上げる。二十畳ほどの広さがあるリビング。その中央にあるソファで読書をしていた有田は、「お帰り」と言おうとした。
だが、克己の顔を見た瞬間、その言葉が喉元で止まる。
「おい、どうしたんだ、その赤いのは」
有田は驚き、克己を指差す。彼の左の頬が、腫れ上がっているのだ。
「殴られたんですよ、リオナに」
「リオナちゃんに?」
キャバクラ嬢のような接客業の人間が、客に手を上げるなど、まずあり得ない。あるとするならば、その原因は我が孫にあるに違いない。有田はそう思い、苦笑いをする。
「どうせお前が、『財産を横取りするな!』などと、リオナちゃんに言ったんじゃないのか?」
「そのつもりで店に行きました。でも、あの女には何も言わなかった」
「じゃあ、どうしてリオナちゃんが、お前を殴る必要があるんだ?」
「俺が、他のキャバクラ嬢を罵ったんです。『俺は水商売の女は嫌いだ』と」
「そしたら、リオナちゃんが腹を立てて、お前を殴ったのか?」
「ええ。『キャバクラ嬢をなめるな』って言われましたよ」
克己はジャケットを脱ぎ、背後に控えていた家政婦に渡す。
「くだらねぇ。水商売の女をナメたところで、何が悪いってんだ?」
独り言のように呟く克己に、有田は首を横に振った。
「お前は、人を信じる力が足りんなぁ」
「信じる?」
眉を上げて反応した克己は、早足でソファを回り込み、有田の正面に座った。
「信じた男に裏切られ、自殺した母親から産まれた俺に、どうやって人を信じろって言うんです?」
有田は何も答えなかった。恨み、悲しみ、絶望。そんな克己の感情を、丸ごと飲み込もうとじっと構えている。その態度に苛立ちを刺激された克己は、小さく舌打ちした。
「俺は、俺を恨んでいるんですよ。あんなくだらない女から産まれたことに」
克己の言葉が、有田の心を深く抉る。その痛みを逃すように、有田は大きく息を吐き出した。
「お前がそう思うのは、私のせいだな。私があの時、悦子とお前を守ってやれば……」
だから何だって言うんだ。しょげ返る有田を見て、克己はそう思っていた。過去をやり直すことなどできない。母が生き返るはずもない。そして、この世に生まれたことを恨む自分の存在を、消すこともできない。
「だがな、克己。それでも私は言うよ。お前はもっと、人を信じるべきだ」
「冗談言わないでくださいよ! 人を信じて、失敗したのが俺の母親です。それにあなただって、あの女を信じて……」
克己はそこで口を噤む。有田が財産の分与を決めた、「リオナ」という女。あの女は今、偽者と入れ替わっている。そんな女を信じているような祖父に、何も言われたくはない。
その気持ちを、ぶちまけてしまいたかった。だが、言ってもいいものだろうか。
『有田ビル』を一代で築き上げた、偉大な実業家である祖父。だが今は、病のせいもあって、時には弱気な面も見せるようになっていた。そんな彼に、「リオナ」の真実を言えば、ショックを受け、苦しみ、かえって寿命を縮めるのでは――その不安はあったが、克己はあえて、口を開いた。
「あなただって、騙されてるんです」
「私が? 誰に私が騙されていると言うんだ?」
「リオナにですよ。今のリオナは、偽者ですよ。あなたが財産を譲ろうとした、リオナじゃない」
瞬間、リビングが静かになった。有田の表情が強ばり、色を失っていく。やはり、言うべきではなかったか。克己の中に後悔の念が湧き上がる。
あの偽者のリオナのことは、できれば自分で処理してしまいたかった。本物のリオナと取引をしたことも含め、全てを消し去ってしまいたかったのに。
有田同様に、克己も顔色を悪くしてしまう。そんな中、有田が突然顔を緩めた。何事か、と目を向けると、有田は大笑いし始めていた。
「ははは! おいおい、そのことか! お前、私が気づいていないとでも思ったのか?」
「え? き、気づいていたんですか?」
驚きを露わにする克己に、有田は何度も頷いた。
「最初から分かっていたよ。リオナちゃんが、今のリオナちゃんに入れ替わったのは、二週間ほど前だったかなぁ」
知っていて何故、リオナを追及しないのか。何故、未だに財産を譲ろうとしているのか。一ミリどころか、一ミクロンも理解できない。呆然としている克己の前で、有田はゆっくりと腰を上げた。
「以前のリオナちゃんは、私の病気のことを知っていた。だから水割りも、私の体のことを考えて、薄目に作ってくれていたんだ。だが、入れ替わった後のリオナちゃんは、店のマニュアル通りの濃さで水割りを作っていた。それでも最近は薄目に作るようになったが、それはお前が彼女に、私の病気のことを告げたからじゃないのか?」
確かにそうだ。偽者のリオナは、有田の病気のことを知らない様子だった。それを責め立てたのは、間違いなく克己自身だ。
「それにな、以前のリオナちゃんは、本を読まない子だった。だが、今のリオナちゃんは、本が大好きだと言っている。詩人の中原中也の名前を出した時、以前のリオナちゃんは『誰ですか?』と訊いてきたのに、今のリオナちゃんは彼の作品を好きだと言ったんだ」
有田は足を進め、リビングの奥へと向かう。突き当たりにある本棚からA4サイズの封筒を取り出し、ソファへと戻ってきた。
「これを見ろ」
再び腰を下ろした有田が、封筒から書類を取り出す。「調査報告書」と題されていたそれを、克己との間にあるテーブルの上に置いた。
「これは、リオナちゃんの身辺を探らせた報告書だ。リオナちゃん――本名は、西山舞花ちゃんだな。彼女は三週間ほど前から、行方不明になっているようだ。その失踪に対して、何故か捜索願は出されていない」
今度は封筒から写真を出した。それはキャバクラ嬢姿の、リオナの写真だ。
「そして彼女には、双子の姉がいる。名前は、西山彩花」
有田はもう一枚、写真を取り出した。それは、若い女性の証明写真のようだった。真面目そうで、化粧気のない女。だが、顔立ちは悪くない。そして、どことなくリオナに似ている。リオナと同じような化粧をすれば、そっくりになるだろう。
「今のリオナちゃんは、恐らくこのお姉さんの方だろうな」
有田は彩花の写真を、指先でトン、と叩く。
「舞花ちゃんの捜索願も出さず、彩花ちゃんがなりすましているからには、何か理由があるのだろう」
「……ここまで知っていて、何故まだあの女に、財産を分与しようとしてるんです?」
克己には、有田の気持ちが何一つ見えない。それどころか、有田が得体の知れない人物にも見えてくる。
そんな彼の気持ちを察してか、有田は優しく微笑み、宥めるように言った。
「償いだよ。これは、お前の母親である悦子に対する、償いだ」
「償い? これのどこが、あの母への罪滅ぼしになると言うんです!?」
怒りに駆られ、克己は早口で捲し立てる。それを有田は受け流すように、大きく息を吐き出した。
「初めてリオナちゃんを見た時、悦子を思い出したんだ。顔立ちや姿が似ていることもあったが、お姉さん思いのリオナちゃんが、優しかった悦子のようでね」
有田はそっと目を閉じる。幼い頃の悦子の可愛らしい姿が、不意に現れる。それが次第に成長し、最後に見た時の彼女が現れた。小さな克己を抱え、やせ細った体で有田に縋った姿が。
「両親を亡くし、お姉さんと支え合って生きているリオナちゃんを見ていたら、悦子が言ってるような気がしたんだ。『お父さん、この女の子を助けてあげて』って。『この子を、私みたいにしないで』とね」
克己は呆れ、大きく息を吐き出した。くだらない。どうしようもなく、くだらない。
「そんなことだけで、財産を譲ることを決めたんですか?」
「ああ。そうだよ」
目を開けた有田は、笑いを含んだ声を上げる。
「それに、お前だって感じているんじゃないのか? 今のリオナちゃんに対してね」
「何がです?」
「今のリオナちゃんは、以前のリオナちゃん以上に、悦子にそっくりだってことさ。大人しく涙もろいが、心は強い」
「母は、強くはなかった。強い人間は、自殺なんてしません」
克己ははっきりと否定する。これ以上、母のこともリオナのことも、話題にされたくはなかった。
だが有田は、「いいや。悦子は強かったよ」と、大きく首を振った。
「悦子は、強過ぎたんだ。誰にも頼らず、自分一人で限界まで耐え、最後にパチンと心が折れてしまっただけだ。決して弱かったのではない」
そんなこと、あるものか。克己はすぐさま反論したかった。だが、何故か言葉が出てこない。有田が彼の言葉を封じるかのように、こちらをじっと見ているせいだろうか。それとも、これ以上口を開くことを、彼自身が拒絶しているのかも知れない。
押し黙る克己を見ながら、有田はテーブルから彩花の写真を手に取った。娘の面影を持った彼女の表情。それを見つめ、静かに呟いた。
「いいか、克己。人には、言えない事情というのもある。それを心に秘めている、という強さを信じてあげるんだ。それが、人を信じるということだ」
有田との話を切り上げた後、克己は二階にある自分の部屋へと入った。
奥行きのある部屋には、ベッドとデスク、それと大きな本棚しか揃っていない。無機質とも言えるその中を、電気も点けずに歩く。突き当たりにあるベッドに着くと、そのまま寝転がった。
視界に広がる、青く白んだ天井。その中に、リオナの姿がふわりと浮かんだ。
あの女が母に似ていると、有田は言っていた。そして、それを否定できない自分がいる。
あの女は、克己の前で何度も泣いた。自分は偽者の「リオナ」ではない、と必死に訴えて。その顔を見た時、母を思い出してしたのは確かだ。いつも泣いていた母の姿が、あの女の中に見えてしまったのだ。
信じていた男に裏切られ、いつも泣いていた母。そして、母を必死で慰めようとしていた、幼い自分。
「お母さん、泣かないで」
克己がそう言って擦り寄れば、母は泣き顔で微笑んでくれた。
苦しんでいたにもかかわらず、母は決して、誰も恨もうとも、憎もうともしていなかった。そんな母を、いつしか克己は「弱い人間」と決めつけていた。
「何も知らないから、そんなこと言えるんだよ!」
彩花の言葉までもが蘇り、克己は思わず目を瞑る。
そうだ。俺は、何も知らないのだ。母のことも、あの「リオナ」のことも、何もかも。
「き、昨日は申し訳ありませんでした!」
「い、いや、あれは別にいいから。俺も悪かったし……」
一斉に頭を下げる彩花と七瀬に、克己は恐縮して声を上げた。
あの揉め事があった次の日だと言うのに、克己は『Bella Donna』に来店していた。そしていきなり、彩花と七瀬を指名したのだ。
何かの報復があるに違いない。そう考え、怯えつつもテーブルへとついた彩花と七瀬は、ひたすら謝ることで、それを回避しようとしていた。
だが、その予想は見事に外れてしまった。克己はいつもの横柄な態度を封印し、真面目さを前面に押し出していた。
「昨日は騒ぎを起こしてしまって、申し訳なかった。お詫びと言っては何だけど、これ……」
横に並んで座る彩花と七瀬に克己が渡したのは、ブルガリの紙袋だった。
「それ、ブレスレットなんだ。気に入るかは分からないけど」
「こ、こんな高価なもの! いただく訳には……」
紙袋を突き返そうとする彩花の腕を、七瀬がつねる。
「いいから、黙って貰っておきなさいよ!」
七瀬は小声で彩花に言った後、見事な営業スマイルを作り上げた。
「きゃー! 嬉しい! ありがとうございます、有田様! じゃあ、私はこれで失礼しますね」
そそくさと立ち去ろうとする七瀬に、彩花が視線を向ける。克己に指名されているのに、何故ここを離れるのか。不思議そうな様子の彩花に、七瀬はニヤつきながら耳打ちする。
「元々はあんたの客なんだから、私はお邪魔でしょ?」
去って行く七瀬の背中と、手元のブルガリの紙袋。それらを交互に見て、少し考えた後、彩花は紙袋を克己へと差し出した。
「これ、やっぱり受け取れないです」
「何で?」
「だって、昨日は私も悪かったんですし……」
「いいよ、別に。貰えるものは貰っておく、っていう方が、『リオナ』っぽく見えるぜ?」
リオナへのなりすましを指南するような、克己の物言い。彩花は怯えた心を隠すように、紙袋を胸元に戻して抱き締める。克己は苦笑いしながら、水割りに口を付けた。
「社長から、聞いたか。俺の母親のこと」
「は、はい。少しだけですけど」
「俺の母親は、銀座でホステスをしていた。結構売れっ子だったらしいけど、あっさり男に騙されて、俺を身籠もったんだ。バカな女だよな」
言葉とは裏腹に、克己の口調には、母親をバカにするような雰囲気はない。それどころか、愛情を感じるほどだ。
ならば、ストレートに母親への愛情を表せばいいのに。そう思い、彩花は首を振った。
「お母様は、バカなんかじゃないです。理屈ではなく、ただ思いのままに、行動してしまっただけなんだと思います」
「へぇ。それってたとえば、妹になりすますことも、そうなのか?」
その言葉に、彩花は身を守るように体を竦めた。怯えきった亀のように、首までも引っ込めている。克己は思わず、ははは、と声を上げて笑った。
「悪ぃ。冗談だよ」
冗談にしては、タチが悪い。彩花は腹立ち紛れに睨むが、克己は飄々と水割りを飲んでいる。
「それに俺は、お前の正体を誰にもバラすつもりはない。だから、安心しろよ」
この男の言葉を、本当に信じていいものか。そうは思いつつも、ほっとした彩花は、ふと笑みを漏らす。それに応じるように、克己も微笑んできた。
その曇りのない笑顔に、何だか調子が狂ってしまう。これまでは敵対心ばかりを向けてきた男が、今日に限って妙に穏やかなのだ。
この裏には、何か思惑があるのかも知れない。いやもしかしたら、これがこの男の普通の姿なのだろうか? ならば、ここはあえて、普通の話をしていこう。
「有田さんは、お母様とのことで、記憶に残っていることはないんですか?」
彩花の問いに、克己は苦しげに首を振る。
「あるけど、あんまり良い思い出はない。お前は?」
自分に話が振られるとは思わず、彩花は面食らいながらも、必死で考えた。
「私は……『星に願いを』かな?」
「何だそれ」
不思議そうな克己に、「歌ですよ、歌!」と彩花は声を上げる。
「ディズニーの映画でも使われている歌なんです。私の母は歌が上手で、いつもこの歌を歌ってくれていました」
そう言って、彩花は『星に願いを』の歌い出しを口ずさむ。柔らかなメロディと、彩花の澄んだ歌声。それは、ざわめくホールの中ではっきりと聞こえた。
そしてその歌が、深く沈んだ記憶をゆっくりと目覚めさせる。克己はそんな感触を覚えていた。
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第11話 『彩花と、克己の母』は11月5日(火)更新です。
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