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ポケパラノベル
小説タイトル
イラスト:jericho

作者情報

青井 由
北海道生まれ、東京在住の小説家。 大人の女性向けの恋愛小説を主に書いています。 主な執筆履歴&活動状況は「ya*info」(http://aoiyoshi.lovepop.jp/)にて公開中。

小説タイトルチェンジング・ビューティー【完】 更新日時2013.12.02

第15話 彼の強さと彼女の歌

小説挿絵 「あれ? 店長いないの?」
「店、開けないの? どうしたのよ!」
「す、すいません。俺もよく分からなくって……」
 事務室と接した壁越しに、出勤してきたキャストやボーイたちの声が聞こえる。
 彩花がアキラと共に『Bella Donna』の倉庫部屋へと戻ってきたのは、十九時を過ぎた頃だった。通常ならば開店してもいい時間だが、開店の準備がされておらず、権藤もいないことに、皆慌てているようだ。
 彩花が倉庫に入ると、権藤は舞花の横にパイプ椅子を置いて座り、手にしたナイフをいじっていた。懐中電灯に照らされ、ナイフがオレンジ色の明かりの中で鋭く光る。それと同じ感触を持つ視線を、入口の近くに佇む彩花へと向けた。
「で、財産はどうした?」
「……受け取ることを、承諾してきました。弁護士さんのお話では、正式な手続きは明日行って、振り込みは数日後に行われるそうです」
 沈んだ表情の彩花を見て、舞花は悲しげに首を振る。その横では、権藤が嬉しそうに口の端を上げて笑っていた。
「財産を受け取るまでは、お前たちを殺すつもりはないから、安心しろよ」
 舞花の頭をナイフの柄で小突くと、権藤は腰を上げて彩花へと近づいた。彼女の腕を引っ張り、舞花の近くへと連れてくると、アキラへと顎をしゃくり上げる。
 アキラは躊躇しながらも、倉庫の奥からロープを持ってきた。それを受け取ると、権藤は素早く彩花の手と足を縛り上げていく。そしてタオルを取り出し、彼女の口を覆ってしまった。
 彩花は舞花の横に並ぶように座らされ、段ボールに凭れ掛かっていた。虚ろな眼差しを前へと向ける二人を見て、権藤は満足げに頷く。
「やっぱりお前ら、そっくりだよなぁ。それに、顔も体もいい方だしさ」
 権藤は二人の前にしゃがみ込み、彩花の頬を撫でる。
「このままお前らを殺しちまうのは惜しいよなぁ。二人まとめて、風俗にでも落とすか」
「ゴンちゃん! それは酷いわよ!」
 後ろで叫ぶアキラに、「うっせぇなぁ!」と権藤は振り返らずに叫ぶ。
「せいぜい、死ぬまで稼いでもらった方がいいだろ? この顔と、体でさ」
 権藤はニヤニヤとしながら、舞花の胸を鷲掴みにする。眉を上げて怒りを表す舞花は、権藤の手を拒否するように体を捩った。その頬を、権藤は反射的に叩く。冷えた空気の中に、パチン、と乾いた音が響き、舞花は床に倒れ込んだ。
「ったく、生意気だよなぁ。親がいないんだから、お前たちがどうなろうと、誰も悲しまないんだろ?」
 確かに、そうかも知れない。彩花は絶望の中で、権藤に同意してしまう。
 両親亡き後、舞花と二人だけで支え合って生きてきた。母のお腹の中からずっと一緒だった舞花以外には、自分を心配してくれる人はもういないだろう。
 だが脳裏には、克己の顔が浮かぶ。彩花はそれを必死で打ち消そうとした。あの人が今、私を思ってくれるはずなどない、と。
 どんな理由であれ、私が裏切ったのは事実なのだ。それをあの人が、許すはずはないのだから――。



 ドン、と強い音が、後ろから響く。驚いた運転手は、バックミラーで後部座席にいる克己を見た。ホテルから『有田ビル』の本社へと戻る車の中で、克己は苛立ちに任せて、ドアのガラス窓を叩いていた。
 真面目で融通の利かない克己は、何かにつけて苛立ちを露わにすることが多かった。そんな彼を宥めていたのが、亡くなった有田だったことを、有田の運転手として従事してきた彼は思い出していた。
 今の克己には、裏切られた、という気持ちしか存在していない。信じられると思っていたあの女が、とんでもない裏切りを見せたのだ。あの女がしたたかだった、と言うべきか。それとも、あんな女に引っかかった自分を愚かと呼ぶべきか。
 克己の心には、はっきりと刻まれた彩花の姿がある。初めて見た時の、怯えた表情。ちょっとしたことで泣き出す脆さ。なのに、「キャバクラ嬢をなめるな」と殴ってきたこと。そして彼女が、勇気を振り絞るようにして、自分を好きだと言ってくれたこと。
 それらの記憶を、否定したくはなかった。消し去りたくもなかった。だが、そうしないことには、気持ちが収まらない。
 克己は信じたかったのだ。彩花の気持ちも、言葉も、全て。それが自分を残して死んでしまった母を信じることにも、繋がっているような気がしていたのに。
 克己は鞄から手帳を取り、その中に挟んでおいた写真を引っ張り出す。それは以前、有田が見せてくれた彩花の写真だ。化粧っ気のない、地味な女の写真。
 克己はそれを破ろうと、写真の端に指を掛け、力を込めた。
「有田社長が以前、おっしゃってましたよ」
 突然聞こえた運転手の声に、克己は手を止める。運転手はバックミラー越しに、微笑みを向けていた。
「腹の立つことがあったら、逆にそれを好きになろうとしてみるといい、と。腹の立つ相手がいたら、逆にその人間を信じる努力をしてみるといい、と社長はいつも、おっしゃっていました」
 だから何だよ。克己は反論したくなったものの、何も言わず、再び彩花の写真を見た。
「お前は、人を信じる力が足りんなぁ」
「人には、言えない事情というものもある。それを心に秘めている、という強さを信じてあげるんだ」
 この写真を克己に見せた時、有田はそう言っていた。だが、見事に自分を裏切った女を、どうやって信じろというのか。
 第一、失踪した妹になりすますなど、卑劣で姑息な手だ。並の女が考えつく手段ではない――そう思った時、克己の心に、居心地の悪いものが生まれた。
 目の前にある彩花の写真と、彼女がしてきたこと。そのギャップに、どうも納得がいかないのだ。妹になりすまし、有田の財産を奪い取る。そんなことを、この写真の中の、世間知らずで真面目そうな女が思いつくものだろうか?
 いや、彼女の考えであっても構わない。ただ、その考えを実行するのは、彼女一人でできることだろうか?
「ごめんなさい」
 遺産を受け取ると告げた彼女が、何度もそう言って、泣いていた様子が蘇る。
「人には、言えない事情というものがある」
 有田の言っていた通り、もしも彼女に、言えない事情があるとしたら。
「それを心に秘めている、という強さを信じてあげるんだ」
 祖父さん、信じていいんだよな、あの女を――彩花を。
 彼女が歌っていた、そして母も歌っていた、あの歌。『星に願いを』。まさにその通りだ、と克己は思い、目を閉じる。
 今、星に願いをかけるとしたら、望みは一つだけだ。彼女を信じられる、強さがほしい。だがその強さは、自分で導き出すしかないことを、克己は知っていた。
 克己は大きく息を吐き出し、ジャケットの内ポケットからスマートフォンを取り出す。そして素早く操作すると、彩花へと電話をかけた。



 段ボールと埃に塗れた倉庫には似合わない、柔らかな音楽が鳴り出す。それは、彩花のスマートフォンの着信音だった。彩花のバッグからスマートフォンを取り出した権藤は、液晶画面を見た瞬間、ふん、と鼻を鳴らした。
「お姉さんの大好きな男から、電話だよ」
 権藤は液晶画面を、彩花へと向ける。そこには「有田克己」という名前が表示されていた。
「声だけは聞かせてやるよ」
 権藤はスマートフォンを受話状態にして、スピーカーフォンをオンにする。そして彩花の前へと投げ捨てた。床の上に落ち、軽くバウンドするスマートフォンから克己の声が聞こえ、倉庫の中に響く。
「俺だ。今、大丈夫か?」
 彩花は何も答えられず、克己の声に耳を澄ましていた。
「……おい、返事ぐらいしろよ」
 短気な克己らしく、彩花が何も反応しないことに、しびれを切らし始めている。
 ごめんなさい、克己さん。彩花は無言で何度も謝りながら、瞳に涙を溜めていく。面倒なことが嫌いな彼のことだ。きっとこのまま、電話を切ってしまうだろう。それで彼との繋がりも、全て切れてしまうのだ。
 そんなのは嫌だ。彩花は素直にそう思った。たとえ「裏切り者」と罵倒されても、軽蔑されても、彼とは繋がっていたい。それが、彩花の正直な気持ちだった。だがそれさえも、今となっては贅沢な望みなのだ。
 権藤が憎々しげに笑い、こちらを見下ろしている。こんな男に、自分と舞花の全てをめちゃくちゃにされるなんて。
 ならば、せめて最後に、彼に思いを伝えたかった。彩花は涙を飲み込み、猿ぐつわの布越しに息を吐き出し、突然鼻歌を奏で始めた。
 こんな時に、何をしているんだ。そんな苛立ちから、権藤は彩花の前に来て、彼女の頬を殴る。それでも彩花は、ハミングを止めなかった。
「……どうした? 何があった?」
 電話から聞こえるハミングに、克己は違和感を抱いていた。何故、こうして旋律だけをなぞるようにしているのか。はっきりと歌詞を歌えばいいのに。
 いや、違う。歌えないのだ。そう閃いた瞬間、克己は彩花に問い掛ける。
「もしかして、今、話せないのか?」
 それでも彩花は、ハミングを続けている。
 克己は直感的に感じた。これは彼女の身に、何かが起こっているに違いない、と。ならば、まずは彼女がどこにいるのかを知らなくては。
「分かった。これから俺が言うことで、正しいことがあったら、その歌を止めろ。いいな?」
「克己の言うことに答えるなよ。分かってんだろうな」
 克己の声の後に、権藤は彩花の耳元で呟く。権藤に返事をすることなく、彩花が続けるハミングの中で、克己はゆっくりと言葉を発した。
「今、お前がいるのは、家か?」
 彩花のハミングは止まない。克己は続けて、「それなら、店にいるのか?」と尋ねる。そこでやっと、彩花のハミングは止まった。
「てめぇ、何してんだよ! バラすなよ!」
 権藤は怒りと焦りから、彩花の頭を殴った。慌てて床にあるスマートフォンを取り上げ、通話を切る。
「分かった。今すぐ店に行く!」
 通話の途切れを示す、ツー、という虚しい連続音。それを聞きながらも、克己は電話に向かって叫んでいた。
 電話が切れる前に、微かに男の声が聞こえた。それが、彩花が何かに巻き込まれている証拠のような気がしてならなかった。
 嫌な予感を抱えつつ、克己は運転手に行き先を変えるように指示し、車を『Bella Donna』のある繁華街へと向かわせた。



 繁華街近くの大通りに着いた車から降りた克己は、繁華街の入口のゲートへと駆け込み、その中へと突き進んだ。
 通りの両脇に並ぶキャバクラや風俗店は、どの店も開店していて、ネオンを瞬かせている。しきりに誘い文句を投げかけるポン引きを振り切って、克己は一気に走り抜けた。
 数分走れば、この街のランドマークである、大きなビル近くにある『Bella Donna』が見えてくる。その店の正面には明かりが点いておらず、真っ暗で、開店している気配はない。
 おかしい。さっき彩花は、「店にいる」ということをハミングを止めて示したはずだった。
 別の入口はないのか、と克己はビルの壁を辿るようにして、裏側へと回り込む。そこには「通用口」と書かれた鉄のドアがあった。それを開けると、中からは様々な香水の匂いと、けたたましい声が溢れてきた。
「一体、どうなってんの? 店長はどこなのよ!」
「同伴の客を待たせてるのに、どうしてくれんのよ!」
 通用口から続く通路は、キャバクラ嬢たちの姿で溢れかえっていた。彼女たちは、盛った髪を爆破させるように、怒りのままに文句を言っている。
 克己はその女たちの中に、彩花の姿を探す。だが、それらしき女は見つからない。代わりに長身の七瀬の姿を見つけ、克己は中へと足早に進んでいった。
「おい、店が開いてないぞ。どうした?」
「あ! 有田さん!」
 七瀬はキャストたちを掻き分け、克己の前へとやって来た。
「有田さん、申し訳ありません。今日、店長が出勤してないみたいで、開店の準備も全然してないんですよ」
「じゃあ、リオナはどうした?」
「あ! そう言えば……リオナも出勤していないかも」
 七瀬は辺りをきょろきょろと見渡すが、「リオナ」の姿は見えない。
「リオナは、ここにいるはずなんだ!」
 克己の言葉に応えるように、七瀬はもう一度周りを見るが、「リオナ」はいない。
 克己はキャストたちを押し退け、事務室のドアを開ける。その中には誰もいない。続けて更衣室や控え室、そして明かりの点いていないホールを見て回ったが、彩花はいなかった。
 嫌な予感がした。店にいるはずなのに、いない。つまり、どこか人目につかない所にいる可能性が高いということだ。
 うろうろと動き回る克己を、七瀬はもちろん、他のキャストやボーイたちも不思議そうに見ていた。克己はその目を気にすることなく、「彩花!」と突然大きな声を上げた。
「おい、彩花! お前、どこにいるんだ?」



「えっ? この声……克己かよ!?」
 壁を通して、倉庫内に響いた克己の声に、権藤が真っ先に驚いた。アキラも同様に驚き、大きな体を震わせている。
 本当に、彼が来てくれた――その喜びと戸惑いで、彩花は一気に鼓動を速めていた。
 彼女の隣にいる舞花は、彩花の顔をじっと見ていた。あの男に助けを求めるなんて、お姉ちゃん、やるじゃん。そんな視線を向け、猿ぐつわの中の頬を緩ませる。
 権藤はそんな二人の様子に気づき、懐中電灯を向けた。
「さっきの電話で、お前か歌なんか歌いやがるから……」
 そう言うや否や、権藤は彩花の体を勢いよく蹴りつけた。彩花の体は後ろへと倒れ込み、積まれた段ボールを崩しながら横たわっていく。その彩花の頭を、権藤は踏みつけた。
「余計なことしやがって!」
 煙草の火を消すかのように、権藤は靴底で彩花の頭を擦った。痛い。骨が砕けそうな激しい痛みを、彩花は歯を食いしばり、必死で耐えていた。
「彩花! 頼む、答えてくれ! どこにいるんだ!?」
 再び克己の声が聞こえる。克己さん、私はここだよ――そう叫ぶこともできず、彩花は権藤に蹴られ続けていた。
 顔や頭を蹴られ、更には腹まで蹴られてしまう。尖った靴先は、抉るように内臓を突き上げた。このまま死んでしまうのかも知れない。果てしなく続きそうな暴力の中で、彩花は気力を失いかけていた。
「彩花!」
 彼が、私を呼んでいる。彼はまだ、私を信じてくれているのだろうか? だからこそ、こんなに切ない声で、私を呼んでいるのだろうか?
 そう思えば、死ぬのは嫌だった。彩花は残った力を振り絞り、顔を上に向け、権藤を睨みつける。
 克己に、自分がここにいることを伝えなくては――その使命感で、彩花は猿ぐつわの奥にある、喉を震わせる。それは、さっきも歌った、『星に願いを』のハミングだった。
「何してんだよ!」
 権藤は彩花の腹を踏み潰す。彩花は吐き出すように噎せて、ハミングを止めて咳き込んだ。すると、その代わり、とばかりに、今度は舞花がハミングをし始めた。
「舞花、てめぇ!」
 権藤に顔を殴られて床に倒された舞花は、何度も蹴られ、体を転がした。それでも舞花は、ハミングを止めなかった。そして彩花も、再びハミングを始めていた。
 二人の微かな歌声が、暗い部屋の壁へと、染み込むように伝わっていった。


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第16話『真実と決意』は12月9日(月)更新です。
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