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ポケパラノベル
小説タイトル
イラスト:jericho

作者情報

青井 由
北海道生まれ、東京在住の小説家。 大人の女性向けの恋愛小説を主に書いています。 主な執筆履歴&活動状況は「ya*info」(http://aoiyoshi.lovepop.jp/)にて公開中。

小説タイトルチェンジング・ビューティー【完】 更新日時2013.10.21

第9話 彩花と七瀬

小説挿絵  今日の彩花には、全てのものが美しく見える。この『Bella Donna』のホールにおいても、何もかもがキラキラと輝いていた。
 安っぽいシャンデリアさえ、ダイヤモンドの塊のようだ。原価百円の水割りのグラスも、バカラ製にしか見えない。カーペットに点々と散らばる、煙草の焦げ跡や酒を零したシミ。それらも、美しい模様に見えてくる。
「今日のリオナちゃん、病気になる前に戻ったみたいだねー」
 明らかに浮ついている彩花へと、指名客の山田が微笑みかける。そのカバに似た不気味な笑顔も、今日は松坂桃李の爽やかスマイルに見えた。
「えー? そうですかぁ?」
 ニコニコしながら彩花が返すと、ニセ松坂桃李が大きく頷く。
「そうだよー。復帰してから、元気なかったから心配だったんだー」
「もう、山田さんったら! 私はいつも元気ですよ! ほら、山田さんのおっぱい、触っちゃうぞ!」
「うひゃー!」
 この日、彩花は朝からこの調子だった。もっと正確に言うと、権藤にキスをされたあの瞬間からだ。表情筋を目一杯使った笑顔と、メーターを振り切ったハイテンション。それがずっと続いている。
「彩花、好きだよ」
 そう言った時の、権藤の声の響きと表情、そして唇の柔らかさ。それらをハイクオリティな3D映像と、5.1chサラウンドによって、彩花は脳内で再生し続けていた。
 だが、その映像に突如ノイズが入る。舞花の交際相手である権藤が、本当に自分を好きになってくれたのだろうか? そんな不安のノイズだ。
 しかし今の彩花には、そんなものは無意味でしかない。舞花がまだ見つからないという不安さえも、圧倒的な幸福感によって、上書きされていく。
 今はこのまま、この幸せに酔っていたかった。それだけなのだ。
「彩花」
 突然名前を呼ばれ、彩花は思わずソファの上で跳ね上がる。それが権藤の声となれば、尚更だ。接客中の彩花の背後に忍び寄った権藤が、耳打ちする。
「あいつから指名が入ってるんだけど……」
 権藤が視線で示す、ボックス席へと目を向ける。そこには、克己が座っていた。
 今日もまた、財産の分与について文句をつけに来たのだろうか? それとも、彩花の正体をバラすために? 彩花のテンションが、一気に急降下していく。
「とりあえず、ヤツにはヘルプをつけとくから、今の客が帰ったら頼むよ」
「は、はい」
 頷く彩花を見て、権藤はそのまま、待機中のキャストがいる控え室へと向かった。
 控え室のドアを開けた瞬間、煙草の煙が溢れ出す。権藤はその白んだ中に首を突っ込んだ。
「おーい、ヘルプ頼むよ」
「えー、誰の?」
 一人のキャストの声が聞こえ、権藤は「リオナのだよ」と答える。
「リオナの太客だから、誰か頼むよ! あの『有田ビル』の社長の孫だぜ? オイシイと思うけどなぁー」
 しかし、反応はない。これは今、始まったことではなかった。キャストの間では、リオナは以前から評判が悪かったのだ。
 枕営業をしていることや、権藤と交際していること。それが悪評の原因であることは、権藤も分かっている。また、舞花の喧嘩っ早い性格が、災いしていることも。
 めんどくせぇ。権藤はため息をつき、控え室を見渡す。このキャストの中から、ヘルプを適当に見繕おうとした時だった。突然、ベテランキャストの七瀬が立ち上がったのだ。
「じゃあ、私が行こうかな」
 七瀬の立候補に、権藤は驚いて息を詰まらせる。
 七瀬とリオナは、以前より仲が悪かったのだ。お互いの接客態度や、ランキングの上下、客を取った取られた――そんなネタで口喧嘩をしては、時には取っ組み合っていたのに。
 実際、驚いていたのは、権藤だけではなかった。控え室にいる他のキャストたちも、唖然として携帯電話や煙草を持った手を止めている。
「ちょっと、七瀬! あんた、『リオナのヘルプなんて、絶対にイヤ』って言ってたじゃない!」
 隣にいたキャストの言葉に、七瀬は小さく肩を竦めた。
「気が変わったの」
 控え室を出た七瀬は、権藤と共にホールへと向かう。そして伝えられたナンバーの、ボックス席を見た。そこには、若い男が悠々と座っている。いわゆる「おっさん」な客が多いこの店では、かなり浮いている存在だ。
 しかも、かなりの「イケメン」だ。七瀬は小さく舌打ちする。
 リオナの客に『有田ビル』の社長がいるとは聞いていたが、社長の孫までもが、あの女の客だとは。ガサツで、生意気で、枕営業で稼ぐ金の亡者。そんな女が、何故良い客ばかりを掴むのか。嫉妬と苛立ちで、熱いため息が溢れそうになる。だが、七瀬は必死で堪え、改めて克己の様子を観察した。
 几帳面で、真面目そう。少々気難しそうでもある。そして身につけているものは、全てにおいてハイスペックだ。
 オーダーメイドのスーツに、鏡のように磨かれた靴。ネクタイは恐らくアルマーニ。腕口から見えている腕時計はフランク・ミュラーだろうか。あれって、車一台買えるぐらいの値段だったよね?
 とにかく、かなりの上客だということは分かる。ならば、これはチャンスだ。あの女を痛い目に遭わせる、またとないチャンス!
 この客を、あの女から取ってやる――七瀬は炎のような思いを滾らせ、克己に近づいていく。
 リオナは入店と同時に、あっという間に人気嬢になった。金になることなら何事も厭わず、枕営業や、他のキャストの客を取ることも平気でしていた。七瀬も何度か、リオナに客を取られたことがあった。
 今は病み上がりのせいか、妙にしおらしい。だけどいつか、下衆な女としての尻尾を現すはずだ。その尻尾を引き擦り出すには、客を奪うのが一番だろう。しかも、とびきりの上客を。
「有田様、はじめまして。七瀬と申します」
 目の前にやって来た七瀬から、克己は顔を背けた。
「俺は『リオナ』を指名したはずだ」
「ええ。リオナちゃんが今、他のお客様についておりますので、こちらに来るまでの間、私がお相手してもよろしいですか」
「必要ない。俺は『リオナ』に用があるんだ。お前になど、何も話すことはない」
「そうおっしゃらずに。少しの間ですが、お話ししませんか?」
 隣に座った七瀬がおしぼりを差し出すものの、克己はそっぽを向いたままだった。
 何だよ、この面倒くさい客! 七瀬は頬をヒクヒクさせながら、メニューを手に取る。
「何もお飲みになっていないのですか? よかったら、何かご注文なさいません?」
「要らない」
「えーっ。でもせっかくですから、楽しく飲みましょうよ!」
 克己の体に擦り寄り、メニューを開く。そんな七瀬の態度に苛立つように、克己はソファの肘掛けを指先で叩いた。
「ほら、有田様。このワインなんていかがです? とっても美味しいんですよ」
 克己は返事をすることなく、指先だけを動かした。そこから生み出されたリズムが、次第に速くなっていく。
「ワイン以外でしたら、このブランデーはいかがです?」
 さっきまでミドルテンポを奏でていた指先が、テクノの4つ打ちの速さになっている。それに気づかずに、七瀬は克己へと話し続けた。
「それとも、お食事の方がよろしいですか? このフルーツ盛りとか……」
 克己の指先の動きが、ただの連打へと変わる。ゲームのボタンを連射するように激しく動かした後、克己は突然立ち上がった。
「うるせぇ! いい加減にしろ!」
 ホールじゅうに響き渡いたその怒声を、彩花は山田の横で聞いていた。それが克己のものであることは、すぐに分かった。だが、何が起こったのかは見当もつかない。
「ど、どうしたんだろうね、あの人……」
 隣にいる山田が、前方へと視線を向けていた。驚きで動きを止める客やキャストたちの隙間から、仁王立ちする克己の姿が見える。
 青い炎を灯した、怒りの表情。克己はそれを下に向けていた。その矛先には、ソファに座る七瀬がいる。
「男に貢がせるための手口を、俺に使う気か? ふざけんな、クソ女!」
 再び克己の罵声が響き、ホールの空気を震わせていく。克己の怒りを一身に受ける七瀬は、青い顔をして体を縮ませていた。
「も、申し訳ありません……」
 驚きと恐怖で閉じた喉を必死で開き、七瀬は謝罪した。自分が悪いことをしたとは思えない。だが、この客を怒らせてしまったのは事実なのだ。
「水商売の女が、なれなれしくするなんて、百年早ぇんだよ!」
 怒りの収まらない克己は、ひたすら七瀬に言葉を吐き捨てる。
「お前みたいな水商売の女ってのは、みんなくだらねぇんだよ! 男に媚びを売って生きなきゃないなんて、最低な人生だよなぁ?」
 怯えながら、七瀬は必死に謝罪を繰り返していた。
 ごめんなさい、ごめんなさい。頭を下げる七瀬を、彩花は歯を食い縛りながら見ていた。
 七瀬は彩花に対して、喧嘩腰で接してくることが多かった。それは、舞花と彼女との関係の悪さを示すものなのだろう。そんな七瀬を、あまり好きになれないのは事実だ。
 だが、それとは別に、七瀬がキャバクラ嬢として優秀であることも、彩花は知っていた。客への愛情表現を欠かさず、細やかな気配りも忘れない。姉御肌で、後輩のキャストたちの面倒見も良いことから、「ビッグママ」とあだ名されるほどだった。
 そんな彼女が、克己に失礼なことをしたとは考えられない。
「俺は、水商売の女が大嫌いなんだよ!」
 克己のとどめの言葉が響く。ざわめくホールの雰囲気が、一瞬でピンと張りつめた。
 克己の、母への恨み――そこから生まれたのが、今の言葉だ。それは彩花にも分かっている。だがそれは、今の彩花にとっては許せるものではない。
 克己の言葉は、七瀬を始めとするキャストたちや、舞花をも侮辱するものでしかない。そして、キャバクラ嬢となっている彩花をも貶めているのだ。ならば、聞き逃すわけにはいかない。
 そう思ううちに、彩花は立ち上がっていた。
「リ、リオナちゃん、どうしたの?」
 山田に返事もせず、彩花は足を動かし始める。克己への対処をしようと、右往左往するボーイたちの横を通り過ぎ、テーブルの間を真っ直ぐに進む。そして、克己と七瀬のいる席を目指していった。
 二人のいるテーブルは、ホール中央の奥にあった。殆どのテーブルでは、客とキャストが会話を止め、克己の様子を見ている。その皆の視界の中に、彩花の姿が現れた。
 彩花は七瀬を庇うように、克己の前に立ちはだかった。彼の表情には、いつものように、憎悪の念がみっちりと詰まっている。
 だが彩花は、それに怯むことはなかった。克己以上の憎しみの気持ちをこめ、彼に向ける。そして右手を振りかぶると、思い切ってスイングした。
 克己の頬に彩花の掌が当たった瞬間、甲高い破裂音が静まりかえったホールに響く。
「てっ、てめぇ!」
 殴られた頬を押さえ、克己は彩花に食ってかかる。だが、それを跳ね返すように、彩花は絶叫した。
「キャバクラ嬢をなめるな!」
 その言葉が生み出した、冷たい一瞬。それが通り過ぎ、ホールじゅうの人々の視線が、一気に彩花へと集まる。
「あんたはいつも、水商売の女をバカにしてさ! 何も知らないから、そんなこと言えるんだよ! みんな、どれだけ努力してると思ってんの!? 七瀬さんや、他のみんなや……舞花だって……」
 溢れ出した思いを、彩花は止めることができなかった。瞳に涙を溜め、ひたすら声を上げる。それは舞花のためでもあり、自分のためでもあり、そしてこの店の、全てのキャストのためだった。
「あんたなんて、最低だよ! 人のことを疑ってばっかりじゃない! どうせ舞花だって、あんたのせいで消えたんだ! 絶対そうだ!」
「リ、リオナちゃん!」
 慌てて駆け寄った権藤が、彩花を後ろから羽交い締めにする。それを振り払おうともがく彩花を、克己は呆然としながら見つめていた。



『Bella Donna』の閉店後、彩花は権藤と事務室で向き合っていた。乾いた空気の中に、権藤のため息交じりの声が響く。
「まぁ……今日のことは、おとがめなし、ってことで」
「すいません……」
「本当だったら、即クビだよ。客を殴って、怒鳴りつけるなんてさぁ」
「本当に……申し訳ないです」
 彩花はシュンとして、ひたすら謝っていた。
「まぁ、でも彩花は素人なんだしさ。それに、あの克己ってヤツも、文句も言わずに帰って行ったし、問題ないよ」
 権藤の口調には、昨日の夜のような愛情は感じられなかった。「好き」と言ってくれたことが、嘘のようだ。事務的で、あっさりしている。それが彩花の頭を、一気に冷めさせていった。
 キス一つで、何を浮かれていたんだろう。はしゃいでいた自分をぶん殴りたい気分になりながら、彩花は頭を下げ、事務室を後にした。
 そして通用口のドアを開け、外に出る。十一月に入り、夜の空気は冷え込みが強くなっていた。
 舞花が失踪したのは、十月の中頃だ。それから三週間近くが過ぎている。得られた手がかりはただ一つ。あの克己だけだ。それ以上の進展はない。
 その虚しさをこめて息を吐けば、白い固まりになり、夜の中に消えていく。その行方の先を見ていると、何故か七瀬の姿があった。コートの襟の中に顔を埋め、こちらを見ている。
 彩花が出てきたことに気づき、七瀬は凭れていたビルの壁から体を起こし、気怠そうに歩み寄ってきた。
「あんた、変わったよね」
「え?」
「あんたって、金のためなら何でもやってたじゃん? で、金にならないことは絶対しない」
「は、はぁ……」
「あんたに接客のことで注意しても、全然言うこと聞かないし、平気で人の客を取ったりするし。今日みたいに、人の揉め事になんて首突っ込んだりしなかったでしょ? だから私、あんたのこと大嫌いだった。だけど、今の素直な感じのあんたなら、悪くないなーって」
 七瀬はそこで言葉を区切り、照れたように口を開いた。
「それに、『キャバクラ嬢をなめるな』って、いい言葉だと思ったし」
「あ、あれは思わず、出ちゃったって言うか……」
 彩花がもじもじしていると、七瀬が強い視線を向ける。だがそれは、決して責めるようなものではなかった。
「とにかく、あんたのことを見直した、ってこと!」
「わ、私は、七瀬さんのこと、尊敬してます!」
 前のめりになって彩花が言うと、七瀬は怯えるように顔を顰める。
「いきなり、何言ってんのよ! あんたらしくない!」
「ううん。これは私の本心です! 七瀬さんは、尊敬できるキャバクラ嬢だと思います!」
 彩花は本当に心から、そう思っていた。七瀬だけではない。『Bella Donna』にいるキャスト全員を、彩花は尊敬していた。
 わがままでスケベな客への対応。ボトルのおねだりのタイミング。ノルマに追われる辛さ。営業メールや営業電話。誕生日を始めとした、客のプロフィールの把握。そんな「小さなことからコツコツと」的な努力が、キャバクラ嬢を支えている。それは、彼女たちの外見の派手さからは考えられないことだった。
 そして舞花も、自分のために、努力しながら働いてくれていたのだ。きっと逞しく、ここで働いていたに違いない。
 彩花はそう思いながら、目の前にいる七瀬に、舞花の姿を重ね合わせていた。



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第10話 『克己と母』は10月28日(月)更新です。
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■注意■

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